本好き日記

本好き腐女子の読書日記を綴るブログです!

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心を上手に透視する方法


「心を上手に透視する方法」トルステン・ハーフェナー著・福原美穂子訳の著者のハーフェナーさんは元はマジシャンで心を読む専門家としてテレビで活躍されている方なのですが、本の内容はしぐさでわかる内面の心理というこで、潜在意識の話も紹介されています。
翻訳は外国語の単語置き換え型でエピソードや豆知識のみを拾って読んでも良いです。
・先入観があるために、真実を見ている人は少ない。
焼け石に に水だ。この文章「に」が重なっているのですが、先入観を排して事実のみを見ること。よく観察すること。内面を透視することの第一歩は、そのようなことから始まるというのです。
・身体言語、言葉以外のコミュニケーション。
プロポーズをした相手がイエスと答えたのですが、その表情が怒っていたり、しかめっ面だったら、あなたは相手を信じられるだろうか。あるメッセージが発せられるのは、言葉そのものを理解する人というのは案外と少く、声の調子や大きさ、抑揚のほうがより印象に残るというのです。
・しぐさと感情。
赤ん坊の写真を見せると、人は自然に首を傾けるのは、頚動脈を無防備に見せるしぐさで、人は赤ん坊に対して自らの弱みをさらし、危険な対象ではないことを示そうとしているというのです。首をかしげるしぐさとは、信頼してほしいというポーズなのだというのです。腕組みは自分を守り相手を拒絶するポーズと考えられるているのですが、話し相手がこのしぐさをしたら、自分の話に興味を持っていると考えてよいというのです。パーティなど、人がたくさんいる場所でのこのしぐさは、誰にも邪魔されずにじっくりと話し合いたいという意味だというのです。
・相手を操る魔法の言葉。
ショーで実験を行う時にお客さんに手伝ってもらうことがあるのですが、恥ずかしがるお客さんに、何を言うと出てきてもらえるかといいますと、「立ち上がって、どうぞ前に出てきてください」と指示をふたつ与えるとそうするとなぜか、拒絶されることが少ないというのです。ですから部屋を片づけなさいではなく、二階へ行って部屋を片づけなさい。何か言ってではなく、私を見て何か言ってというように、ふたつの指示を、自信を持って言えるようになれば、相手に言うことをきかせることができるというのです。
否定の言葉を使う場合、例えば子供に、「ジュースをこぼしてはいけない」といいますと、なぜか、ジュースはこぼれるというのです。「ない」という否定語はあまりにも美しくないので、私たちはかえって逆の現象をイメージし、実行してしまうというのです。
「テーブルに食器を並べないで。ママを喜ばせたいとき以外は」するなと言われればやりたくなり、結局ママの思うつぼだというのです。
心を透視するテクニックが並んでいるのではなく、潜在意識や、ちょこっとした自己啓発のノウハウなど紹介されている本です。

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とらわれない生き方


「とらわれない生き方」はづき虹映著のはづき虹映さんは、スピリチュアル系の自己啓発本を出版しているのですが、本書はビジネス書としても読みやすい内容になっています。
常識的なテーマについて反論するスタイルでこれまでの思い込みをブチ壊していく内容です。
例えば
・朝、ちゃんと起きて会社に行かなければならない
世の中にはアルバイトやフリーランス、経営者、ネット通販、デイトレーダーなど様々な働き方がありますが、誰でも朝起きて会社ではないことに気づこうというのです。
朝起きて会社という考え方は悪いことではないのですが、違った選択の仕方もあり、選択した自分を忘れずにというのです。
・常に向上心を持って、スキルアップに励まなければならない。
必要以上に頑張ってしまうのは、今の自分を認められない深層心理の裏返しですので(自分自身の限界にチャレンジするのは良いと思う)、何かに「とらわれた」ままがんばっても、本当の幸せはやってこないというのです。本当に大切なものは今、ここにある。幸せは今、ここにある。まずそのことを認め、スキルアップしてもダウンしても、あなたはあなた。学ぶことを楽しめるように、今ここを大事にしようというのです。
・将来に備えて貯金しておくべき。
貯金が悪いことではない。でも、将来の心配のために貯金をしているというなら、それは間違いだというのです。備えても、実は憂いはなくならない(憂いを無くすために貯蓄するのではと思うのですが)。「不安だから」で貯金をしていると、不安を増幅し、引き寄せる結果になるというのです。貯金をするなら、楽しいイメージをふくらませよう。さらにそのプロセスも楽しむこと。すると貯金は楽しみの種になり、楽しみの種から咲くのは喜びの花で、幸せな目的のために貯蓄に励もうというのです。
・お金儲けに執着するのは汚い。
お金に対する考え方は、「ある」で始めなければならない。「ない」と考えてていると、いつまでもお金と仲良くなれないというのです。発想の転換で、借金ばかりで家計が大変から借金ができる信用がある。教育費がかさんで貯金ができないから子供への愛情があるから教育費がかけられる。現金の貯金はないが、子供の将来への貯金は積んでいると思うのだというのです。あるものに意識を注ぐこと。今日も食べて寝るだけのお金が「ある」。楽しい本を買うお金が「ある」。身のまわりには「ある」ものばかり。今ある豊かさに感謝できると、自然にお金のありがたみもわかるはずだというのです。
・結局のところ、恋愛は見た目だ。(そんなこと誰も言っていない)。
見た目は重要ですがそれがすべてではなく、といって軽視すべきものでもないというのです。外見は、もっとも外側に現れた内面といえるというのです。ブスの語源は、ぶすっとしている様子であると言われている。綺麗は、気零。気のバランスがうまく整えられているさまを表す。持って生まれた容姿を他人と比べる必要はない。その素材をどう生かすか。内面の気をどう表すか。まずは笑顔になって、楽しい気を引き寄せるよう心がけようというのです。
・何よりも健康が大切だ。
適度な運動や睡眠、食事など健康に気を使うことはよいことだがそれにとらわれて、節制だけの人生になってはもったいないというのです(捕らわれてはいない)。人生は楽しむためのもの。健康に気をとられて、生きることを楽しめなくなったら本末転倒というもの(健康でなかったら楽しめないと思うのですが)。どんなに気をつけていても、病気になるときはなるし、ならないときはならない。食べたいものを食べ、眠りたいときに眠り、今ある仕事に心をこめて、いずれ来る死を素直に受け入れる。そんな生き方がしたいというのです(勝手にすれば)。

不倫や浮気は悪いものではないというよう内容のものもありましたが、違和感がありますね。
現実的な目で見ても浮気や不倫は結局相手を傷つけてしまう自分本位の考え方ですね。確かに恋心を持ち続けるのは大切だと思うし、恋愛にタブーはないという説もありますが、相手を傷つけて良いという理屈にはなりません。

絶望の国の幸福な若者たち


「絶望の国の幸福な若者たち」古市憲寿著は26歳の学者が綴った社会評論で、古市さんは外国記者がなぜ日本の若者は立ち上がらないのかと質問を受けて、ハッピーだからと答えたのです。
現在の閉塞感というのは若者も感じていてなんとかしなくてはと思っているのですが、ハッピーでもあるのです。
これまでがそれほど良かったとは思えないのですが、明治維新のような身命を賭して行動する生き方はいやだし、戦もまっぴらで、団塊世代オジサンのように会社に縛られる人生も最悪だと思っているのです。
余り裕福ではないけれどユーチューブやプレステもWiiもあるし、食べることに困ることもないので、現代の若者は恵まれているというのです。
現代の若者は物を余り買わないと思われているのですが、実は購入する対象が変化しているからなのですが、車とか旅行には余り興味がなく、携帯電話やパソコン機器なら購入したいと思っているというのです。
日本人口が減っているのですから、消費が振るわないのを若者の購買意欲がないせいにするのは間違いだというのです。
若者は仲間を大切にし、仲間を寄りどころとしていて、ワールドカップが開かれた時には沢山の若者が集まり、日本チームを応援し負けた後に、暴動が起きるのではと思ったのですが、なんと「お疲れー」という明るいねぎらいの声ばかりだったのです。
日本と叫ぶのは娯楽であり、ナショナリズムなんてものではく、ワールドカップの応援団は、なんとなく集まり、なんとなく消えていったのです。
若者たちがデモに集まる姿は、行楽日和の日曜日に、日の丸を持った若者で、彼らは口々に民主党への批判をくり返していたのですが、彼らは右翼を嫌うが、左翼でもないのです。
日本に危機感を抱いていて、日本はヤバイと考え、デモにやってくる人たちの中には、浅田真央ちゃんに触発されてデモに参加したという人もいたのです。
外国の選手ばかりがテレビに登場しているのは、日本を貶める陰謀なのだと考えている人もいるのです。
日本はヤバイと日常の中にも、危機感を抱いている人はいるのですが、彼らもデモにやってくると仲間に取り込まれて、仲間を見つけて連帯することで安心するというのです。
東日本大震災では想像した通りのボランティアが集まったのは、日頃から「何かをしなければ」と考えている人が多いからなのです。そのはけ口となったのが、大震災ボランティアで、私たちは平和すぎる日常の中に、突発的な出来事を求めているというのです。
日本の若者は幸せだと思っているのですが、雇用の不安や年金の問題が立ちはだかっていても、IT機器の発達により、娯楽や仲間探しには事欠かないというのです。
不況の際には幸福感を抱く人が増える傾向にあるのは、先を望んでも叶えられないことが多いからで、今あるもので満足しようとするというのです。
中国の農民も都市に出稼ぎに出て最下層の仕事に従事しながら、希望を抱いているのですが、身分が固定化されているので、下層の人たちにとって安心であり、幸福な状況といえるのだというのです。

道化師の蝶


「道化師の蝶」円城塔著は、第146回芥川賞受賞作品で、ある小説をめぐるストーリーで、スタイルがふたつに分かれていて、始めに小説の背景が綴られて、その後にその小説そのものが綴られているので、小説の中に小説が綴られているのです。
背景は私が、エイブラムス氏と出会った所からスタートし、旅のフライト中でエイブラムス氏は年中飛行機で旅行をしているのです。
エイブラムス氏は閃きを捉えるために万年筆ほどの銀色の網を持っているのです。なんでも架空の蝶を捕まえたことがあるというのです。蝶は誰にも見えなかったが、新種で蝶に道化師の蝶と名付けたのです。
私のアイデアもエイブラムス氏の網にひっかかる。私は旅行で本を読むことができなかった。旅行をしている間に読みたい本があればよいと話した所で、エイブラムス氏はそのアイデアを見事に事業化したのです。
「飛行機の中で読むに限る」「豪華客船で読むに限る」といったタイトルの本が発売され、売れたのだがエイブラムス氏は他界してしまうのですが、謎の作家友幸友幸が綴った「猫の下で読むに限る」の原稿を入手した直後だったのです。
奇妙なストーリーで、使う者のいない人工言語、無活用ラテン語で書かれているのですが、友幸友幸は言語の天才で、定まった住まいを持たない放浪者でもあったのです。
エイブラムス氏の死んだ後、氏の遺産で友幸友幸を探すために、専門家を使って探したのですが見つけることができなかったのです。
友幸友幸はある日どこかにふらりと現れて、宿を借りたり廃屋に住みついたりして、その土地の言語で書かれた作品が膨大な量が残されていて、「わたし」が翻訳した友幸友幸のストーリーが語られるのです。

友幸の文章の中でも、語りの一人称は「わたし」ですので混乱しますが、「わたし」(友幸友幸本人のこと)が旅行をする目的は、土地の手芸を勉強するためで、その土地の手芸を解説した本を売っているのです。
例えば老婆が軒先に椅子を出して刺繍をしている姿を「わたし」は老婆のそばに座って刺繍のやり方を記録したので、言葉は必要なかったのです。手芸をする女性は、どこの国でも同じような話をするからですが、「わたし」は夜間にひたすら書くことに費やしたのです。
「わたし」の記憶は長くは保たず初めて来たと思った場所でも、なじみの物を目にすることがあったりします。
「わたし」に部屋を貸してくれた人に、エイブラムスという人がいて「わたし」が去った後に、エイブラムス氏が残された書き物を見つけ、興味を抱いたらしいのです。
今「わたし」はエイブラムス氏の財団に勤めていて「わたし」が残した作品が多く保管されており、多くのエージェントがやってきて「わたし」についてのレポートを報告しているのです。
エージェントのひとりがあるとき「わたし」に向かって「友幸友幸」と、疑問符のついた口調で尋ねた。「わたし」はその冗談を手を振って払いのけるのです。
「わたし」はある老人に会い、請われて銀色の網を作ったのは、着想をつかまえるためのもので、老人のもとには珍しい新種の蝶を持ち込んだのは確かエイブラムス人でした。
フライト中、本が読めない男性を見つけ、男性の頭に卵を産み卵がかえれば、それは「わたし」の子供なのです。「わたし」たちはそうして思考を種をつないでいくのです。

共喰い


「共喰い」田中慎弥著は、田舎の町の昭和を描いた芥川賞受賞作品で、主人公の遠馬の母親は魚屋を営んでいる仁子さんという人で、右の手首から下が空襲で失われてしまっていりのですが、気丈な仁子さんは、手首を落として命を拾ったと笑い、今は特注のかぎ針をつけて、魚をさばくのに役立てているのですが、この時代は町には未だ下水の整備がされていないのです。
主人公の遠馬は仁子さんとは一緒に暮らしてはいなかったのですが、遠馬の父はセックスの時に女を殴ると快楽が増すという変態なのです。
仁子さんが遠馬を生んだ次の子を身ごもったとき、中絶して父から逃げたので、遠馬は兄弟になることができず、一人っ子になるのですが、仁子さんは遠馬の中に父親の血が流れていることを恐れていたのです。
遠馬に近所に住む千種という恋人がいるのですが、遠馬より一つ年上で肉体関係があり、千種とのセックスで自分が父親のような性癖になるのではないかと怯えているのです。
父親と一緒に暮らしているのは琴子という女で、スナックで働いていて、セックスの時に殴られることをか許しているようなのです。
町には淀んだ川が流れているのですが、遠馬の父は川でウナギを釣って食べているのですが、そんな父に嫌悪を生じるのです。
遠馬はある時恋人の千種にセックスしながら暴力を振るってしまうのですが、千種はもう会わないと怒ってしまうのです。
遠馬は抑えきれない衝動に春をひさぐ女性にその情動を向けてしまい、父親と同じ暗い快楽を味わってしまうのです。
お祭りの季節が近づき、琴子から子供できお腹の子を守るために父から逃げたいと告白され、この町から出て行こうとするのです。
遠馬も逃げ出したい気持ちはあったが、琴子は一人で逃げるということで、琴子が居なくなったのは祭りの夜で雨が降り、祭りは中止にならず、仲直りを願った千種は、雨の中で遠馬を待っていたのですが、なんと現れたのは遠馬の父で殴られ犯されてしまい、遠馬は千種の復讐を誓うのですが、父親を殺したのは仁子さんだったのです。

超訳孫子の兵法


「超訳孫子の兵法」許成準著は、孫子の兵法が分かり易く紹介されています。
現代の若い社会人でも無理なく読める内容で、平易な文章になっています。
例えば
・戦いの前に勝算を計算せよ:開戦前の作戦会議シミュレーションの結果、勝ったということは、勝算が敵より多いのである。これに負けたのであれば、勝算が少ないということです。勝算が多ければ勝ち、少なければ負け勝算がまったくないようであれば話にならない。このように観察することで、勝敗はあらかじめ知ることができるのです。この訳の後に、著者の解説注釈が加えられています。この際には現代のビジネスシーンで実際にあった例を紹介しています。
筆者はビジネスにおいて、自信と意欲はあるものの冷静な判断ができずに失敗することが往々にしてあり、判断は優れていても、意欲が足りずに大成できない人がいるといっています。教訓とすべきは、成功のために必要な熱い心と冷静な判断で、孫子の兵法を現代のビジネスに活かす内容が紹介されています。
・システムで勝負せよ:安定しているときにも、混乱の芽がある。勇敢な振る舞いの中にも、臆病な心が生まれる。剛強の中にこそ、軟弱さがある。個人はどこまでいっても弱い存在なのである。治まるか、乱れるかは、兵をどう組織するかによって決まる。勇敢になるか、臆病になるかは「勢」、つまり全軍が作っている態勢によって決まる。強くなるか、弱くなるかは「形」、つまり組織全体の構成によって決まる。
日本理化学工業という会社は、日本最大のチョークの製造メーカーですが、この会社の社員の70%の人が知的障害者だというのです。彼らは字を読むことができず分量を量ることも難しい状態だというのですが、業務は滞りなく進んでいるのは、システムで材料の容器も天秤の分銅も色で判るようになっていて、文字を読む必要がないようにしてあり、時間は砂時計で測り、誰でも簡単に仕事ができるようになっているのです。
一般的には作業にミスがあったときは、上司が部下を叱責しますが、本当の解決はミスが起きるようなシステムを改善することなのです。
戦いに負けるパターンは戦場から逃げてしまうのです。戦力が等しいのに、戦力を分散させて敵に当たらせると兵は逃げてしまうのです。強い兵士を持ちながら、指揮者が無能な場合は、軍は弛むのです。
欠陥のある軍は弛の反対で、将は優秀ですがが兵が弱く、崩は崩れた軍で現場の指揮官が勝手に行動してしまうのです。将軍も指揮官の能力を把握していないため、統率ができないのです。

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