本好き日記

本好き腐女子の読書日記を綴るブログです!

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ピエタ


「ピエタ」大島真寿美著は、本屋大賞第3位と人気の小説で、18世紀ヴェネツィアの孤児院ピエタにアントニオ・ヴィヴァルディの訃報が届く所からストーリーが始まるのですが、主人公のエミーリアも孤児で孤児院ピエタの事務の仕事をしていて、ピエタ孤児院の合奏合唱の娘たちという音楽隊の運営にも携わっているのですが、音楽隊を率いる親友のアンナ・マリーアが音楽隊に選ばれることは名誉なことだというのに裏方の仕事を担っていて、ヴィヴァルディ先生はアンナ・マリーアの音楽の才能を引き出してくれたのですが、死んでしまい、エミーリアは寄付をしてもらうために友達のヴェロニカを訪れるのですが、ヴェロニカもピエタの音楽隊に参加していたことがあり、先生の楽譜の裏に落書きをした楽譜を探してくれれば特別な寄付をするというので、エミーリアは落書きの楽譜を探すためにピエタを出て、ヴェネツィアがカーニバルに浮かれている夜の酒場で情報屋にから楽譜の行方を教えて貰おうとしたのですが、そのやり方は20代の頃にある男から教えてもらった方法で生涯に一度だけ好きになった人で、20年前に仮面をかぶってカーニバルの
ヴェネツィアで、母を探す際エミーリアを愛してはいなかったことが判明し、がっかりしたエミーリアを支えた貴族の男ですが、落書きの楽譜を探すエミーリアは高級娼婦クラウディアと知り合い、情報屋の手引きをするゴンドラ漕ぎの男はクラウディアのもとへと通うヴィヴァルディが教えたものだが、エミーリアはクラウディアをヴェロニカを引き合わせ、嫁いだ先で夫を失い、実家に戻され、不遇の日々を送っていたのですが、救いとなる家族の隠れた面を知ることになるのですが、クラウディアは病気になり懸命の看病をしたのですが治療費が払えずヴェロニカの助けを借り看病をしたのですが命が尽きる日がきて遺言どおり島の墓地にゴンドラ漕ぎが送って漕ぎながらヴィヴァルディが残した歌ったのですが、ヴェロニカが歌詞に覚えがあり驚くのですが、なんでも幼い日に孤児院の部屋で楽譜の裏に書き付けた言葉だったというのです。

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あんぽん


「あんぽん」孫正義伝・佐野眞一著の孫社長の名前は、日本に気化する前は安本と名乗っていたので、あんぽんというあだ名だったのですが、あんぽんたんみたいで好きではなかったというのですが、孫正義氏の親や兄弟、祖父母をたどったルーツでは、昭和32年生まれで、母親の玉子は評判の美人で、父親の三憲は孫正義に似た風貌をしていて童顔で丸顔でやや薄い頭なのだというのですが、なんでも生まれた家は佐賀県の鳥栖市本鳥栖町無番地という所で、朝鮮部落と言われていた所で、番地が割り当てられていない密集したバラックの町で、孫正義の家は豚を飼っていて密造酒を作っていたというのですが、なんでも祖母は働き者でリヤカーで食堂の残飯を集めて豚の餌にしていたりして、愛情が深く豚の子供に乳をやっていたというのですが、なんでも祖父が働かないため祖母が働いていたというのですが、祖父は韓国の両班という身分で貴族だったので労働を卑しいものだと考えていたというのですが、なんと孫正義氏の祖父と祖母は日本に強制的に連れてこられ、日本で結婚したのですが戦後になって一度韓国に帰国したのですが食べていけず、再び日本に密航しようとし
たのですが、船底に穴が開いて船が沈みそうになったのですが、祖父は水をかきだす作業に加わらず成り行きを見守っていたというのですが、お陰で航海は失敗に終わり、2度目の密航で日本にたどり着いたというのですが、父の三憲は死にもの狂いで働き、10代の頃から遠くの街まで密造酒を売り歩き、祖父に両班の子息たるもの卑しい労働をするなと下駄で殴り飛ばされ、父親は金のために働くな天下国家を考えろと話すようになったというのですが、父親の三憲は密造酒の販売から金融業を始め成功するためにかなり荒っぽいこともしていたというのですが、暴発しやすい人でもあったというのですが、孫正義氏が学校に通う頃には、家はかなり裕福な暮らしをしていたというのですが、何でもパチンコの経営にも乗り出し、金の苦労はしていなかったというのですが、孫正義氏が高校に入学した頃、父親の三憲が倒れ、塾の経営をしたいのだが子供では場所を借りられないため中学時代の恩師を呼び出し、塾の経営者になって欲しいと頼み、恩師の名義で事業計画も整えたのですが、父親の三憲が持ち直し、孫正義氏は米国留学を決めのは韓国籍では教師として日本の公
立学校では働けないので活路を海外に求めたのだというのですが、米国に留学した孫正義氏は安本の姓を捨てて、孫という韓国姓を名乗るようになったのは、人種が入り混じっている米国には自由な気風があったからだというのですが、なんと日本に戻り事業を起こしても孫の姓を名乗り続けたのですが、親族は隠して生きているのになぜそんなことをするのかと大反対だったというのですが、孫正義氏は出自を隠して生きるのは人としてのプライドを捨てることでそんなことはできないし、差別されている同じ在日韓国人の希望になれればよいと考えていたのですし、在日韓国人でもやればできるのだとことを証明したかったということで、ソフトバンクを設立したのですが、肝硬変を患い2年ほど仕事から離れたときに経営を委ねた人と別れることとなったので、苦難が多かったのですが、孫正義氏の経営力は図抜けたものがあったというのは、何でも子供の頃に飲食店を営もうという父親に無料のコーヒーを配ったらどうかとアドバイスしたことがあり、無料の飲み物で客を集めて、ほかの食べ物を買わせる手法が、後のソフトバンクのやり方になったというのですが、3.11
の後に反原発を掲げて代替可能エネルギーの開発にまい進し、在日のクセにと多くの非難を浴びけられたというのですが、自分は日本人だといい、日本の食べ物を食べて日本で育ち、大晦日にはこたつで紅白を見るのが楽しみ日本人として日本を愛し反原発は死ぬまでやめないというのですが……。

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