本好き日記

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外国人のイメージ

外国人のイメージ リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』に、小林薫が出演依頼を受けたことがあるという。しかし彼は、日本人の登場人物に「コウボウ」と命名されていたことに(安部公房からの連想と思われる)うさん臭さを感じ、結局出演を断ったという。「Switch」誌のインタビューでの小林薫の言。 「公房と書いてコウボウと読ませるっていうのは、特別でしょう、普通はキミフサって読むわけですよ。そんな名前一人しかいないですよ、そう言ったら監督はびっくりして聞き返してきた、一般的じゃないのかって。第一、ライターも本を書く前に一回も日本に来て取材していないことにも驚いた、そんなの失礼ですよ。」これは『イエロー・フェイス』(村上由見子、朝日選書)に紹介されたエピソードで、登場人物の名前の付け方から小林薫が映画制作サイドの姿勢を読み取るところを、鋭い、と評している。 思い返してみればユニヨシ(「ティファニーで朝食を」)だの、アチコやゲンジコやチンモコ(「将軍」の侍女の名、しかしよりによってチンモコって…)だの、ヤカモト(「マイノリティ・レポート」)だの…ハリウッド映画には名前からして奇妙な日本人が溢れている。「やれやれ」と苦笑しつつ観ていたわけだが、ちょっと調べればわかることを調べもせず、取材もせずに脚本を書き、撮影され、違和感なくアメリカで受け入れられている…という状況をよく考えてみると、気持ち悪さを感じざるを得ない。たとえば「"○○スキイ"と名付けておけばロシア人に見えるだろう」なんぞとしゃべりながら映画が作られている場面を目の当たりにしたら…  いまから14年前の1993年に出た『イエロー・フェイス』のサブタイトルは、「ハリウッド映画にみるアジア人の肖像」。戦争プロパガンダ映画から恋愛映画まで、様々な映画に出てくるアジア人(アジア人俳優が演じる場合だけでなく、白人俳優がメーキャップして演じる場合もある)の姿を通して、アメリカにおける「アジア観」の変遷を検証した力作だった。  「ハリウッドに出てくるアジア人はどういう姿をしていたか」を通じて、「アメリカはアジアをどのように見てきたか、そしてその目線をハリウッドはどのように映画の中で視覚化したか」を知る。それは自分たちがどのように見られてきたかという、イヤだけれども必要な、確認の作業になるだろう。  そして今年、同じ著者により、『ハリウッド100年のアラブ―魔法のランプからテロリストまで』(朝日選書)が書かれた。  アラブ世界を題材にした理由に、著者は9・11を挙げる。自分たちが漠然と描く「アラブ世界」のイメージには、少なからずハリウッド映画の影響がある。しかし、そのハリウッド映画で描かれたイメージ以外に、果たして自分はどれだけアラブを知っているだろうか、と。「アラビアのロレンス」、「ミュンヘン」、「アラジン」、「シーク」といったアラブを扱った映画が、その映画の作られた当時の中東状況と重ね合わせて語られる。思いこみや憧憬で勝手に描かれるイメージ、誤解や偏見で描かれるイメージ、中東戦略や戦争プロパガンダに沿って作られたイメージ。映画に映し出されたものが、映画の中だけの話ではなく、その制作当時の状況に深く寄り添っていることが、暴かれる。  これはハリウッドだけの問題ではない。問いかけは、それらの映画を観ていた自分にも向けられる。私は、これらのイメージを、特に違和感もなく受け入れてきてはいなかったか? 映画の描いたイメージに、いつしか囚われていないか?  ところで、この本で一番驚いたのが、オリジナルでは「アラジン」はアラ  ブ人ではなく中国人少年で、さらに「アラビアン・ナイト」の定本には入っていない…ということ。アニメなどで作られたあのイメージは、何だったのだろう?
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