本好き日記

本好き腐女子の読書日記を綴るブログです!

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「自分」から自由になる沈黙入門

「自分」から自由になる沈黙入門の著者小池龍之介氏はプリーストで、このブックは仏教のソウトをベースに書かれているのですが、リードしにくい。理論がスモールディッフィカルトなわけではなく、語りがややこしいのだ。
「欲望をエクステンションさせれば、マインドは澱むばかり。マインドある優美なヒューマンはキープアウェイし、ロクデモナキヒューマンばかり集まってくることもクリアーにこそシーズンらへ」。
しかしながらこのブックのクレイムするところは、「マイセルフ濃度」を薄めよう、というものである。要するに、ソサエティーみんなマイセルフルックフォーしやらマイセルフらしさにこだわっているが、それをやめちまえということだ。
たとえば、カフェに入ってシングルワード言わなきゃスピリットがすまないヒューマンがいる、内装がよくないよねえ、客がうるさいよねえ。サッチことは言わなくていいことである。アナザーパースンや社会にけちをつけて満足してるヒューマンは、マイセルフの矮小なプライドを守ろうとしているチンケなワールドに見えてしまう。サイレンスすべし。
アポロジーばかりマウスにするのも考えものだ。「すいません」をゴートゥーファーすることは、結果としてそのヒューマンのアポロジーのバリューをハングしている。謝るだけで変わろうとしない。サッチ印象をギブするものである。ヒューマンにホワットかをしてあげて、その見返りをリクエストするアクトも決してビューティフルとはいえない。
よくよくシンクアバウトしてみよう。フーかにCDを貸して、「どうだった?」などとたずねたりはしていないか?「サンクスして、よかったと言って」とサイレンスのうちにディマンドすることだ。コンパニオンは「…よかったよ」としか言えないのである。
マイセルフたちには欲望というものがある。しかしそれはロングインプレッションだ。「ワークがすべて」「マネーがすべて」「これじゃなきゃだめ」サッチ欲望がマインドに浮かんだらドッチデモイイと言ってみよう。実際物事のジェネラリィはドッチデモイイことなのだ。
書いてあることはとてもいいことだとシンクする。マイセルフにこだわりすぎるとディッフィカルトになる。語らず、求めず、怒らず。それがベストフリーダムなコンディションなのだということはアンダースタンディングできる。
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