本好き日記

本好き腐女子の読書日記を綴るブログです!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

超訳 ゲーテの言葉



超訳 ゲーテの言葉」ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ著、金森誠也・長尾剛訳は、シンプルで味わい深いものが多く、原典より、テキストのために翻訳をしフィックスしたもので滑らかでわかりやすいです。
・賢くないパースンでも、ワイズそうにビヘイブすることはできる。ワンセルフでないパースンも、ワンセルフそうにショーすることはできるけれど、それは演技に過ぎない。だからあまりロングにやっていると、インポッシブルがアピアーしてきてマイセルフがデンジャラスになる。インポッシブルはしないことだ。(トルクワトー・タッソー)
・欲望をプレーンにエクスプレスするパースン。マイセルフの満足しか求めないパースン。そしてコモンなパースン。こうしたパースンを否定してはならない。ゼイは「ワールドの永遠に変わらぬ本質」をそのままにショーしているとなれば、ゼイを否定することは、マイセルフをインクルードしたワールドそのものの否定につながってしまうからだ。(アートとオールドブック)
・トゥルースでライトをリクエストするヒューマンは、マイセルフの行動がライトかどうかを、いつもスピリットにしているが、そのアクションがイーチパースンにアンダースタンディングされ、プレイズされるかどうかは、スピリットにしない。(アートとオールドブック)
・アクションすることがすべてなのだ。懸命にホワットかに取り組んでいるときの充実フィーリングこそが、ハピネスなのだ。リザルトなど、ましてや名声など、どうでもよい。そんなものはおまけである。(ファウスト)
・ディスワールドのアクトはすべて、マンのオールドパースンによって定められる。オールドパースンは、ヒューマンのワールドがひたすらチェンジなくクワイアットでありコンティニューすることをウィッシュフォーする。そのためのアクトを、ヤングマンやウーマンにプレスするが、前向きに生きようとするヤングマンとウーマンは、サッチワールドにあって「例外の存在」になろうとする。(ヴィルヘルム・マイスター)
・ディスワールドをピースへとガイドするには、ふたつのフォースがネセサリーだ。ひとつはライトである。もうひとつは、礼儀である。礼儀を知らない正義は、凶暴で危い。(格率と反省)
・ホワットかを始めるとき、慎重なヒューマンはトラブルを予測して、そのディールウィズアクトを用意しておくところがいざスタートしてみると、実際にハプンするトラブルは、たいてい予想アウトサイドなものだ。用意していた対処アクトなどホワットのウォーにも立たず、その都度いちいちヘッドを悩ませる。予測やケアなど、所詮は「セイドパースンの楽観マークなウィッシュのスライド」を超えることはないものだ。(アートと古典)
・アクションするか、我慢するか。挫折は、そのどちらかでリカバリーできる。(遺稿)言いえてストレインジというのか。すごくアンダースタンディングできるワードがメニーだった。ヒューマンとは、ワールドとは、ピリオドも人種もクロスオーバーして、似通ったところがあるようです。ビギニングに書かれたゲーテのホールライフもインタレスティングに、ラブメニーなヒューマンで器用ではなさそうです。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://bookoyaji.blog64.fc2.com/tb.php/923-cd736067
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。